滋賀県内のベンチャー企業に勤めながら、休日を利用して友人と起業しながら、趣味で京阪京津線の応援活動をしています。

わっきー(2005年)

 

 「透明な気質。スポンジのようにいろいろ取り入れる。優男」とよく評されます。

 自分の形をはっきりさせていきながら(文化を育て)、世界と調和し、より豊かな方向へ導いて、この生を全うしたいと望み日々励んでいます。

興味ある人物:渋沢栄一、アルフレッド・アドラー、ルドルフ・シュタイナー、ニッコロ・マキアヴェッリ、ミヒャエル・エンデ、中西輝政、中村修二、畑健二郎、サイトウケンジ、有沢まみず、小島あきら

 

昔の生き様

波乱万丈でしたが、とても強運です!

大学院生時代

 大学時代にひきつづき、大学・アルバイト・NPO活動の三本柱で活動。

 研究室近くの喫茶店でたまたまサンデーをめくっていた時「ハヤテのごとく!」が目に入り、マリアさんの目に惹かれたため最初から読み、全巻買うようになった。アテネ編が一番のお気に入り。

 自分の全てを賭けた(つもりだった)情事に破れ人生転落するも、周囲の皆様の助けもあり(大学院を2年休学したものの)再び立ち上がり歩みを重ねる。

 リハビリも兼ねて列車運転シミュレータの制作を再開。

 インターンシップ先のベンチャー企業にそのまま就職。

 後半、神曲奏界ポリフォニカにハマる。

  

大学(京大)時代

 大学・アルバイト・NPO活動の三本柱で活動。

 当時住んでいた滋賀県の瀬田から大学のある出町柳まで、「石山から出町柳まで京阪電車利用」というフツーの人ならまずとらないルートで通っていたことから、「京阪電車を熱く愛する人」評が広まる(フツーの人なら京阪電車は三条から出町柳までのみだろう)。

 ドイツ語の授業で意気投合した親友は後に同居することになる。

 家庭の事情により、アルバイトで生活費・教科書代をまかなう。

 大学では、「単位は空から降ってくる」がコモンセンスであったにも関わらず、教室の一番前に座り教授にも頻繁に接触する珍しい学生だった。・・・ので、自分でも知らない教授にまで顔と名前を覚えられていた(汗)。大学生活を遊んで過ごすことが人生の通過儀礼のようになっていた風潮に疑問を持ち、大学が提供する教育プログラムにも疑問を持ち、大学では本当に役立つ科学を身に付けるのがいいんじゃないか、あんまり注目されてないけどとても役立つからゲーム理論は全学部全学科必須科目にした方がいいんじゃないか、とか考えていたりもした。

 NPO活動で、様々な年代、様々な職業、様々な生活様式の人々に触れ、さらに内面世界を拡げた。地域通貨の研究を通して「お金とは何か?」について考えを深めたり、中心市街地空洞化問題についてフィールドワークしたりもした。自分を取り巻く社会はどのように統べられるかにも興味を持ち、タブーの風潮になっていた政治のトピックも積極的に考えた。

 大学時代は高校時代よりも時間の余裕がさらに少なく趣味の活動はあまりできなかった。「二次」は最初Navel、後にういんどみるを嗜み、物語のメッセージに注目していた。優しい世界観、優しいキャラクター、優しい物語に惹かれ「祝福のカンパネラ」が一番好きになった。

 

高校(膳所高)時代

 通っていた高校には同じ中学から他に1人も進学しなかったのをいいことに、鉄道マニアを隠さなくなった(中学校までは、何かに没頭することはカッコ悪いことだという風潮があり、密かにうんざりしていた。熱くなれる、好きになれる、没頭できることがあるというのはとても素晴らしいことだと思います!)。ママチャリで滋賀から大阪まで出て京阪電車を追っかけたりしていた。家から浜大津まで30分、三条大橋まで1時間半・・・。当時としてはまだ珍しかった音鉄活動を積極的に行う。

 BVEアドオンの制作を始めた。3年生の時にATSプラグインを作り、京阪式ATS&デッドマンを実装。当時は自作運転台がなくキーボードでプレイする時代だったのでデッドマンは早すぎたのではなかろうか・・・。が、中書島から京橋まで30分間ハンドルを離さない光景を見続けていたので、信念を曲げなかった(※後にPC上での動作仕様を変更しプレイしやすい方式に改めた)。

 高校入学を機に朝型生活を始めた。崩れたこともあったが、4:30に起床し机に向かっていた。

 1年生の時に担任だった先生(科目は書道)が深い話をする方だったので、その先生の言葉を聞きいろんな活動に挑戦した。世界がすごく広がった(今から見たらまだまだ狭いが)。学校の内外問わず活動して触れたあらゆる物事を吸収した経験は、1日10時間の勉強にも勝ると今でも思う。

 2年生の時に生物部で友人と書いた論文が日本学生科学賞に入賞。

 美富士食堂で昼休み中に1人で完食する大食い&早食いマンだった。

 高校3年間で文理問わず1000冊以上の本を読破し広く知識を身につけた。

 3年生の冬に京阪浜大津駅「暮らしっく広場」初訪問、それから10年以上にわたるNPO活動の始まりとなった。

 

中学校時代

 友人の紹介で「ギャラクシーエンジェル」PCゲーム版をプレイ。いわゆる「二次」モノにはじめて触れ、これはいいぞ、夢が広がるぞ、と感動する。当時はまだそういったものは隠れて楽しむ風潮だったので、あまりおおっぴらにはしていなかった。

 雑誌の紹介で「AMEL BROAT」をプレイしどハマリする。作者さんを尊敬し背中を追いかける。プログラム言語のC言語を書くようになった。

 他にもフリーゲーム漁りをしまくった。

 Webサイトの制作を始めた。途中からCGIを自作するようになった。いわゆる「日記帳」CGIに様々な機能を持たせた作品は反響があり、IT系雑誌に掲載されるに至った。今にして思えば、2000年台に普及した「ブログ」システムの原型がそれだったので、もっと徹底的に作れば世界に先がけて「ブログ」システムを作り上げることもできたかも・・・と悔いている(後の祭り)。

 「マイホームデザイナー」という住宅プレゼンテーションソフトで密かに女子校生の3Dモデルを作って楽しむとても健全な中学生でした(^q^)

 

小学校時代

 10歳のあたりから心の内にいろんなことを考えだすようになる。

 「人はなぜ生きるのか」「この世界はどのようにできていると考えるか」等のフツーの人が答えに詰まるようなテーマでいろんな話を持ち出しているのは、だいたいこれくらいの年頃に考えたものを引き出している。

 結論のない話が苦手で、テレビを見なくなった。

 

生い立ち

 岡山県倉敷市に生まれる。第2子です。

 3歳の時から小学校まで何度か転居するが、八幡市に住んだ時に京阪電車に一目惚れ。

 周りのほとんどの子は「電車といえば新幹線」であったが、ひとり密かに京阪電車への熱を高める。

 左利きだったのでしばしば矯正訓練を受けさせられる(左利きへの目が厳しい風潮の時代でした)。結局左利きは変わりませんでしたが。

 幼い頃から、うさぎさん大好きな子でした(^q^)